かみならいの教え
神代の昔、天照大御神は弟の須佐之男命の無道を悲しみ、天の岩戸にこもりました。そのため、高天原をはじめ天下が暗闇となってしまいました。
困った八百万の神は集い、神事を挙行することになりました。その神事では、天児屋根命が『天津祝詞の太諄辞事』を唱え、天宇受売命が神憑りして歌い舞い踊りました。
そして、気になった天照大御神が岩戸を細目に開けた所を天手力男が外に引っぱり出しました。こうして世界に光が戻りました。
この古神道最大の秘言ともいわれる天津祝詞の太諄辞事を唱えた天児屋根命が大中臣家の先祖です。
そして、垂仁天皇記に「天皇、中臣の連の祖探湯主をして仕えしめよ」とあります。これは伊勢神宮を創始した倭姫命に大中臣家の探湯主、つまり審判者(サニワ=憑かりくる神が正か邪か、道理か不道理かを神に対し審判する者)としての役目を仰せつかったということで、これ以降、大中臣家に神事が伝承されることになりました。
65代目にあたります芳村正秉がこの大中臣神道を復興したものが、神ながらの道、つまり「かみならいの教え」です。
魂とは精神に宿るたましいであり、魄(パク)は肉体に宿るミタマです。人間が死ぬと魂はあの世に行き、魄は一種の残留思念となってこの世に残ると考えます。これを奉り、鎮魂いたします。 さらに直霊(ナオヒ)があり、これは永遠不滅の内在する神にあたります。